晩年の成果-ナガセプリント73

1973年(昭和48年) - 1978年(昭和53年)


1973年(昭和48年)82歳の永瀬は、従来のシルクスクリーンに改良を加えた独創的な版画技法を創り出します。この技法は考案の年1973年にちなんで、「ナガセプリント73」と名付けられました。この技法の特色は、平面的な刷りを行うシルクスクリーンを基礎としながらも、濃淡による遠近感の表現を可能にしたことです。刷り上がった画面は油彩に近く、永瀬はこの技法によりオリジナルな発色を得ることに成功しました。

晩年の永瀬 晩年の永瀬


もの想う天使 もの想う天使

晩年に作られた「もの想う天使」はナガセプリント73の代表作です。永瀬は「もの思う天使」を、何度も繰り返しいろいろな色や構図で試し刷りを行っています。刷ってみなければ仕上がり具合がわからない版画は、油絵のように自由に扱えません。刷りながら色を調整していく手間は、気が遠くなるような作業と言えます。永瀬はそうした作業を根気強く続け、自分のイメージに近づけていきました。  永瀬はこの独創的な技法により、「新・童話の世界」「瞑想」「みつめる」などの秀作を次々に生み出します。


新・童話の世界 新・童話の世界

1974年(昭和49年)に制作された「新・童話の世界」は、母と子や家族をテーマにしてきた永瀬にとって、究極とも言える作品です。余分なものはすべて剥ぎ取られ、親子が楽しく遊んでいるイメージが、必要最小限度の要素で表現されています。スペインの画家ミロに一脈通じるユーモアと明るさが、この作品の魅力と言えます。


瞑想 瞑想

同じ年の作品「瞑想」も、流れるような自由な線と繊細な色使いによって表現されています。注目するのは背景の処理でしょう。「新・童話の世界」では比較的シンプルに処理されていますが、「瞑想」においては色合いも含めいろいろな処理が施されています。瞑想する女性を効果的に表現するために、肌の部分だけを平面的に刷り上げているのがわかります。動きのある背景との対比が見事で、女性のもの静かな雰囲気を優雅に伝えています。

みつめる みつめる

「みつめる」も同時期の作品です。モデルは女性でしょうか。男性でしょうか。それとも子供。おそらくその何れでもあり、何れでもないのでしょう。相手に何の疑いをもたない真っすぐな眼差し。社会で生きるが故に、ついやってしまう人間の業を見透かしているかのようです。しかし、そこには相手を咎めるような姿勢はありません。永瀬はみつめる行為そのものの表現よりも、みつめられている鑑賞者側の存在に関心があったのかもしれません。まるでギリシア正教のイコンのように、見ている側を優しく包み込んでくれる不思議な作品です。

晩年の永瀬作品をメルヘンと呼ぶ人がいます。しかし、ナガセプリント73で制作された一連の作品はそうした夢のような世界ではなく、それを通り抜けた無垢の世界、「イノセント」にまで達したものではないでしょうか。

この「みつめる」という作品を見ていると、初期の名作「抱擁」を思い起こします。テーマや作風は全く異なっていますが、純粋さ、崇高さを備えているという点において共通の何かを持っているのでしょう。永瀬義郎の作品群には、確かにそうした人間の本質にそっと触れてくる情感が、多分に内包されていました。それらは自由と安堵をもたらし、観る者に希望とユーモアの精神を思い出させてくれます。


エピローグ

1978年(昭和53年)永瀬義郎は静かにこの世を去ります。享年87歳、明治、大正から昭和まで激動の時代を生きた波乱に富んだ人生でした。今彼は、故郷茨城の地、月山寺に眠っています。その墓碑には次のような言葉が刻まれています。「清貧に甘んじなければ いい作品は生まれない と言っても貧乏すると卑屈になり 作品まで濁ってくる ノーブルな精神こそ 優れた作品の母体となる」

永瀬義郎は、まさにこの言葉通りに人生を送った稀代の芸術家でした。

月山寺 永瀬墓 月山寺 永瀬墓



トップページへ